大津1920年代・親戚の家へ

高輪のH世の家で、従姉たちと
母 「ずっと大津の家にいたわけじゃなくて、たびたびK次郎お父さんの兄姉の家をわたり歩いたの。 東京の高輪にあったH世の家や島さんの家、それから、神戸の御影にあった、T之祐おじさんの家。 学校が休みになったりすると特にね。」
私 「大津の家には年寄りしかいないわけだから、夏休みなんかは子供がいる家に行った方がいいとおばあさまたちも思ったんじゃない? 座敷で女中相手にドッジボールなんかするほどエネルギーを持て余していたんだろうから。」
母 「島の家は男の子が沢山いたし、H世の家は伯母さんが優しかったし、T之祐伯父さんの家は外国ばかり行っていたから西洋風だったし。やっかいになった家にはどれもそれぞれの文化があったからね。 世の中いろんな家があるってことを小さいときから知らされたのよ。 どこにでも適応できるようになったのはこのときの経験のおかげなの。」
私 「そのぶん、親戚におなじみさんが増えていくわけだしね。 それにそんな小さいときから大津から東京にしょっちゅう行っていたなんてその頃には珍しかったんでしょう?」
母 「そうそう、大きくなって修学旅行で東京へ行ったときも、私が友達らを案内したりして・・」
私 「K次郎おとうさんが一度、神戸勤務になって、芦屋に家を持って住んでいたときにもお母さん大津の家にいたのよね。」
母 「芦屋に自分の両親たちが住んでいて、時々私も行くんだけど、大津に帰ってくるのよね。ま、学校もあったからなんだけど。 そのうちK次郎おとうさん達はまた海外勤務になってまた行っちゃった。 今から思うと変な話みたいだけど、その頃は変だなんてこれっぽっちも思ってなかったのよ。」
T之祐伯父様の御影の家で、左からおゆき伯母さん、従妹のはなちゃんとあっちゃんと。


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