客船Southern Prince とT之祐おじさん


私 「HISACHANがTONY叔母さんのアルバムをCD-ROMに落として送ってきてくれたわよ。 いくつか写真に印刷したから見てみる? この写真、素敵ね。とても昭和11年の日本人の写真とは思えないわ、すっかり洋服が板について。  右端はK次郎おじいさまのお兄さんのT之祐おじさんね。 その左がK次郎おじいさま、TONY叔母さんとYASU叔父さん、S子おばあさまで、お母さんね。」
母 「これはT之祐おじさんが、船でニューヨークから南米へ行かれるので皆でお見送りに行ったときのものよ。」
私 「お母さんとTONYおばさん、とても17歳と16歳に見えないわ。 女性陣はお花のついた帽子を斜めにかぶってるわね。 HISACHANが『アスコット競馬場の貴婦人みたいですね』って。」
母 「そんなぁ、まさかだわ。 でも、これがこの頃の流行だったのよ。」
私 「T之祐おじさん、スーツ姿がとても馴染んでいて格好いい、とても素敵ね。」
母 「おじさんは東洋綿花(後のトーメン)に勤めていて、英国のリバプールに長いこといらしたのよ。 アメリカへもしょっちゅう行ってらして、この時もニューヨークから船でブラジルかどこかへ行くときだった。」
私 「この頃の綿花貿易って良かったんでしょう。 あの白州次郎の父・白洲文平も綿花で当てて莫大な資産を得たって読んだもの。 叔父さんが格好いいのは英国仕込みだからなのね。」
母 「ゴルフ通でもあったわね。 あの頃、英国人相手にゴルフをしても引けをとらなかったって。」
私 「リバプールはゴルフでも有名ですものね。 ねえねえ、ネットで検索してみたら、『ゴルフ初心者の為めに』っていう昭和6年の本の著者が『H田T之祐』ってあるけど、本も書いちゃったのかしら? 古本屋にあるみたいだからネットで買って確かめてみよう!」
母 「へ? 買うの!?」

私 「叔父様が乗ったこの船の名は Southern Prince ね。調べてみたら英国の Furness, Withy & Co Ltd の客船でニューヨークとアルゼンチンの間を就航していたっていうから間違いないわ。 でも、この船、その後は英国の機雷施設船になってしまったんですって。 大西洋でUボート(ドイツ海軍の潜水艦)の標的にもなったみたい。 この頃の船は皆数奇な運命をたどるのね。」

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