2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

飛行機大好き

我が家の夕食の日常の風景です。 私 「明日の夜は私は要らないの。それで明日のおかずには・・・」 母 「あがった、あがった、あがった・・あら大きいわ・・。」 私 「今日薬局に来た患者さんでさぁ、一人暮らしのおとしよりがいてねぇ・・・」 母 「ほら、…

急性胃腸炎

もう先週のことですが、母が急性胃腸炎になりました。所謂かぜがおなかに来たというものです。まる1日は何も食べられず横になっていました。病院の先生には熱があるのと白血球の数が多めであること以外はどこも悪くありません、栄養状態も問題ないので、無理…

ニューヨーク・ニューロッシェル・ハイスクール1936年

[:H300:right]私 「これこれ、学校もちゃんと昔のまま残ってたのよね。お父さんも数年後に見にいってるし、私たちも1994年に見に行ったわね。あの人の顔みたいな塔が昔のまんまで。」 母 「私は大津の女学校の最終学年の3学期を残してたのよ。でも、なんか…

ニューヨーク・ニューロッシェル1936年

私 「H田一家がニューヨークにたどり着いてからの家探し。数週間のホテル住まいを余儀なくされて、やっと見つけた家がニューロッシェルね。」 map:x286.2020333y40.9207611:hybrid:h250 私 「地図で見るとマンハッタンから電車で30分くらいだし、穏やかな…

Irene

もう、数年前のことですが、母が携帯電話を手にいれメールを始めるというのでセッティングをしていました。 「メールアドレスを作るから、おぼえていられる何かニックネームとかない?」と聞くと「それじゃ、イレーネにして」というのです。 家族の誰もが「…

ふきのとうの煮物

材料は買ってあったけど、あまり料理をする時間がなくて、「甘塩のタラがあるから、シチューの残りに入れてもいいし、バタ焼きでもいいわよ。それからゆでたほうれん草は早めに食べてね。」とだけ母に伝え、「なんとかなるさ」と家を出ました。 夜に帰ってく…

ニューヨーク1936年

私 「ニューヨークにたどりついてずっとホテル住まいだったのね。」 母 「最初は日本人クラブにいて、両親はずっと家探し。そのうち、ホテルを移ったの。ホテルコマンダーっていうところ。」 私 「そっちのほうが安かったからかしらね?」 母 「どうだったか…

ふきのとう味噌

東京マラソンのため、都心の道路は通行止め。ヨットもお休みです。 ブログに寄せられたコメントを丹念に読む母Ireneです。 「白州正子さんに朝吹さん・・こんなお二人ほどデキ良くないわぁ」 「ライフジャケットを保安庁に借りに行くんですって? たいへんだ…

Tony叔母の記憶:富士丸撃沈1943年

朝食を前にして、 私 「2月14日のブログに書いた秩父丸の救命胴衣の話で、思い出したってTONY叔母さんからメールを頂いたわ。ほら、叔母さんが半日海を漂流していて九死に一生を得たという戦時中の富士丸撃沈事件の事よ。 記憶を辿って書いてくださったの。…

秩父丸1936年(その9):サンフランシスコ入港

私 「わ、この写真、パイロットボートだって。入港するときそこの港の水先案内人が乗ってくる船ね。セールボートだわ。どうしてかしら? この船が汽船に横付けして水先案内人がラダー(はしご)であがってくるのに、セールじゃ横付けが大変なはずよ。」 母 …

秩父丸1936年(その8):救命胴衣

私 「この写真のタイトルは「ボート操練の日」とあるけど、所謂避難訓練みたいなものね。」 母 「何をやったか忘れちゃったわ。横浜港を出航して間もなくだったと思うけど。」 私 「見てよ、この救命胴衣、これじゃ枕じゃないの。着るのもややこしそうだわ。…

62年前のウェディングケーキ

母が70年前にアメリカから持って帰ったBoston Cooking School Cook Book のレシピに基づき、母の孫のReiReiが作ったシュガークッキーを前に。 ReiRei 「ババが良く作ったレシピのページにはシミがあるからすぐわかったワ。 このクッキーも良く作ったみたい…

話題3題

久しぶりのセーリングでした。今日の東京湾は北西の風。 停泊中の航海練習帆船が見えたのでまずはそこへまっしぐら。日本の練習帆船は日本丸と海王丸がありますが、今回のは日本丸でした。寒さをものともしないヨットが数隻、我々と同じように見物にきていま…

IRENE 89歳の誕生日

昨日は母IRENEさんの誕生日 70年前にアメリカから持ってきた"Boston Cooking School Cook Book"のレシピによるシュガークッキーをReiReiが、バースデイケーキをDojiママが作って持ってきてくださいました。 mocotoneとひ孫のRicoも駆けつけてくださいました…

秩父丸1936年(その7):三姉弟

私「この写真は私大好きなの。船のアフトデッキからこのH家の三姉弟はいったい何を眺めているのかしらね。鯨でも見えたのかしら??」 母「何かしらね。こんな写真があることを、私今まで知らなかったのよ。」 私「船の様子も今の客船にはないものばかりね…

秩父丸1936年(その6):祖父と叔父

私「K次郎おじいさまとYASU叔父さんね。叔父さんいたずら盛りってかんじね。K次郎おじいさまが一緒に写真を撮ろうと、バタバタ動く叔父さんをしっかり押さえ込んでいるように見えるわ。可愛くてしかたないって雰囲気ね。」 母「これは秩父丸の最上デッキね…

キッチンの重鎮

今日は我が家の最長老をご紹介。 母の孫のmocotone のお家に真新しいミキサーが来たそうで、そのクールなたたずまい(ブログで紹介されています)に比べたら50年以上の錆と黄ばみで汚れて貧相ですが、それ以上に思い出も染み付いているのですぞ(えっへん…

秩父丸1936年(その5)

私「S子おばあ様だわ。写真のタイトルに『楽焼会』ってあるけど、何?」 母「素焼きの器に、絵を描いて釉かけて焼くあの楽焼よ。」 私「それを船でやるの? 窯を積んでいるわけ? 船に?」 母「簡単な窯があったのよ。あの頃は何か退屈しのぎの娯楽というと…

冷蔵庫

安酒場の「本日のメニュー」みたいですが、これは我が家の冷蔵庫に掲げてあるホワイトボードです。 メインのおかずを考えてあともう一品というときや、母や私のお昼のお弁当にも重宝する「作り置き」たちです。 「何があるのか忘れちゃう」という母のために…

北米大陸横断鉄道1936年(その4):グランドキャニオン

母にとって、グランドキャニオンの記憶は鮮明のようです。母「汽車は東向いて走ってたけど、グランドキャニオンに向かって別の線路が北に向いて出ていてね、終点のグランドキャニオン駅まで行くと、機関車は乗客の乗っている客車を置いて帰っちゃうのよ。次…

Splice the Main Brace

日曜日の昨日は朝から雪・・。今日もセーリングはお休みです。 東京湾は冬が見通しもよく、風も良く、景色も良いので一番のシーズンだと思います。 荒川陸橋を越えて、第三立標まで行くと、富士山も真っ白い姿を見せています。 私がヨットを始めたきっかけが…

アクセス1000件突破!

思いつきで始めたブログですが、思いがけなく母の回想から思い出の輪が広がりあれれという間に1000件を超えてしまいました。 今日の母は送って頂いた巨人軍創生期の名選手「内堀保」の写真(1月30日付けログ参照)に歓声をあげておりました。「どこで見つけ…

北米大陸横断鉄道1936年(その3)

ロサンゼルスを出て、祖父母と3姉弟を乗せた列車は東へ向かった。私「この写真のタイトルは『サンタ・フェ駅頭』とあるけど、どこが駅なの?」 母「サンタ・フェに着いたっていうのに、プラットホームがないのよ。不思議に思ったわ。」 私「へ? 大きな駅の…

秩父丸1936年(その4)

写真はサンフランシスコに着いて船を降り、サンタモニカで食事をとる祖父母と母達3姉弟なんだそうです。 ここでYasu叔父さんに聞いた話。写真では見えにくいですが、祖母とTony叔母さんは冷えたミルクをオイシイとビールの中ジョッキくらいのを二杯も飲んだ…