2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

感謝、多謝!!アクセス10,000件突破

今年のお正月の出来心で始めたこのブログ・・ めでたくアクセス10,000件を超えました! 毎日のご飯を食べながらのおしゃべりから描かれた、母のぼんやりセピア色の記憶が、皆様のコメントのお陰で、より輪郭が明確になり、色彩も豊かに加わって、どれもこれも…

魔法の時間・コープランドアイランドの夜2007年

先週、20日のログでカナダでの夜光虫との魔法の時間のことを書きましたが、この話には続きがありました。 釣ったカレイを煮付けにしたり、岩場で採った牡蠣を蒸して頂いた素晴らしいディナーの後、皆それぞれ寝床に入りましたが、この船の船長のBobさんが…

大津1920年代・その2

私 「こんにゃく鉄道って家のすぐそばから出てたのね。」 母 「そう、おさとさんと一緒にほとんど毎日ように見に行っていたの。 学校で近江舞子に泳ぎに行くときはこれに乗って行ったのよ。」 私 「あら、泳いだの?」 母 「泳がない。おばあさまからきつく…

大津 1920年代・その1・江若鉄道

BSで放送中の『イギリス保存鉄道の旅』で、タリスリン鉄道を紹介していました。 ひとまわり小さなモスグリーンの機関車に赤い客車でコトコト走る列車。 かわいい〜! 機関車トーマスみたいだなと思ったら、実は『機関車トーマス』を作ったウィルバート・オー…

春の朝食

今日はKOINOBORIの仕事が非番の日。台所で朝食の用意をしていると母IRENEが手持ち無沙汰のようなので、母自身の薬のケースへのセッティングをお願いしました。母にとってこの作業は一年半ぶりでしょうか。 「薬の名前も効能も忘れちゃったワ」と言っていまし…

海の星・夜光虫

さて、週末ですので・・と、 先週末の話です。 No-Side 号が東京湾マリーナから横浜ベイサイドマリーナ(YBM)までのクルージングの最中、おびただしい赤潮の帯に遭遇しました。 不気味な赤潮、やはり環境の変化のせいでしょうか? しかし、横浜に停泊中…

大津の家(1924〜1936)

私 「大津ではどういう子供だったの?」 母 「普通よ」 私 「ちがうでしょ、 学校へは人力車で通ったとか?」 母 「それはない。 小学校のときは女中がいつもついてきたけど。」 私 「女中さんが何人いたの?」 母 「3人だったかな、4人だったかな? その…

大津の家・今昔(1924年と2003年)

私 「これが大津の家での写真ね。K之祐おじいさまとおちょうおばあさまの間にちょこんと座っているのがお母さん。 でも、なんでふとんの打ち直しの写真なんか撮ったの?」 母 「ふとんの打ち直し? ははは、やあねえ、この白いフワフワは白くまの毛皮よ。」…

横浜へ一泊セーリング

さて、また週末後は無情にもヨットねたです。あしからず。 12日、13日と No-Side 号が所属する東京クルージングヨットクラブのワンナイト・セーリングで横浜ベイサイドマリーナへ行ってきました。 と、言っても自分は土曜は仕事があったため、到着後の宴…

飯倉1923年

私 「関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日午前11時58分に起きたのね。お母さんは4歳と6ヶ月。地震の時はどうだったの?」 母 「外で運転手に遊んでもらっていたらグラグラっときて、運転手の人は私を抱えてオロオロし、玄関から家の中へ入ろうとしたの…

飯倉1920年?

私 「この写真はお母さんが生れて2歳になる前くらいね。大正9年頃。」 母 「東京の飯倉に家があってね、キャデラックがあったのよ。でもこの車の写真はこれしかないわ。」 私 「記念写真だからめかしこんでいるんでしょうけど、リボンのついたレースのお洋…

春キャベツ満載

この土日はどこへも行かず家事専念。 しかし、どうも仕事が要領よく運ばない。 これも春のせいでしょうか? 母のたっての願いで、まず窓ふき。 これで飛行機がまた良く見えるようになりました。 春キャベツがおいしそうなので、思わずまるごと一個買ってしま…