大津1920年代・その3・おうむと料亭

私 「家におうむがいたのね」
母 「このおうむはね、ある日大津の家のお庭にある小川のところにとまっていたの。 おちょうおばあさんが大きな風呂敷を持って出て、バサとかぶせて掴まえたのよ。 納屋に古い鳥かごがあったのでそれに入れてしばらく家で飼ってたの。」
私 「だから鳥かごがちょっと小さいのね」
母 「しゃべるようになるって聞いたから『おたけさん!』って言って覚えこませようとしたけどぜんぜん覚えなかった。」
私 「この頃じゃ珍しい鳥だから、誰かお金持ちが飼っていたのね。」
母 「話が伝わって、おうむは大津の有名な料亭の『竹清楼』の主人のものだってことが判ったの。 ある日、主人が人力車で紋付着て受け取りにきたわ。 オウムは結局半年くらい家にいたわね。」
私 「『たけせいろう』、竹の蒸篭かと思った。 ほらほら、ねえ、ネットで調べたら出てきたわよ、『竹清楼』。 由緒ある大きな料亭だったのね。」
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料理旅館『竹清楼』、大津市歴史博物館サイトより
母 「あらあら、なんでも出てくるのね、そうそう、これよ。 その頃、大津で宴会っていうと『竹清楼』だったのよ。  K之祐おじいさまもしょっちゅう行ってらした。 宴会っていうとご馳走が沢山でるけど、お客はお酒を飲んでちょこっとつまむだけ。 帰りに折に入れて持って帰ってこられるのよ。 私は、おじいさまが宴会から帰ってくるとそのお土産の折の中身をちょっと頂いて、それから寝たものよ。」
日本版 Doggie Bag というところですが、母の話のそれは、白い経木の折り詰めで、中の色とりどりのご馳走は、もっと奥ゆかしく、優雅に見えたことでしょう。

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