おてふおばあさまの手紙 1936年


ニューヨークへ立つIRENE, TONY姉妹を見送りに来てくれた友人たち(大津駅 1936年1月)
H田K次郎さん一家が、大津のおてふおばあさまの元から当時16歳の母IRENE連れ出して、家族全員でニューヨークへ赴任していった直後のことです。
以下、K次郎さんの手記より抜粋
『わたしたちがニューヨークに落付くのを追いかけるように、母から手紙がきた。 それにY子(注:IRENEの事)は何時帰って来るだろうか、と書いてあった。 その後たびたび受け取る母の手紙には、いつも孫の帰りを待ちわびる言葉が切々と認められてあった。 実のところ、これにはうんざりした。 しかし、そうこうしている内に、兄から、母がおいおい衰えてくる様子を報せてきたので、ついに心をきめて、長女に単身帰郷して最後の孝養につとめてもらうことにした。 そしてやがて、この処置の誠に良かったことが明った。 母は愛孫を再び膝下に得た喜びに浸りながら、ほどなく他界した。 昭和14年の春である。』

私 「おてふおばあさま、そんなに手紙よこしたんだ・・。」
母 「Y 子は何時帰る? いつかえる?って何度も、何度も。 こちらかも手紙や写真を送っていたけど。 『Y子は、あまり肉をたべないように。』なんて書いてあったわね。」
私 「アメリカへ行ってから、おかあさんコロコロふとってたもんね。 写真とるときは一生懸命ハスむいてるけど・・・スキニーなTONY叔母様と一緒に並ぶとその差歴然だもん。 お肉や乳製品は抜群においしいし、食べてれば太るわよね〜。 私は同じ体質だからワカルワカル!」
母 「私はアメリカに足かけ3年いて、だいたいアメリカという国もよく判ったし、だんだんおばあ様の具合が悪いと聞いて、自分から『大津に帰る』と言ったのよ。」
私 「気持ち判るわ。」
母 「ちょうどね、S子お母様の母方従兄の田さんがアメリカから日本へ帰国すると聞いたので、これ幸いと連れて帰ってもらうことになったの。」
私 「お目付け役もついたってわけね。」
母 「船が出るサンフランシスコまで、ニューヨークからK次郎おとうさんが連れて行ってくれたの。 帰国の旅も楽しかったナァ。」
母IRENEさんの帰国の旅が始まったのでした。(つづく)


上、ニューロッシェルの家の近くの貯水池で、IRENEとTONY姉妹

上、ニューロッシェルの家のリビングルームのIRENE


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