お目付け役? 秩父丸1938年


          秩父丸のウォーキングデッキで富岡船長とDen氏

私 「ここからはサンフランシスコから日本へ帰る秩父丸での写真ね。 行きの時と違っていろんな人の写真がたくさんあるわね。 アメリカにも慣れていたし、英語もできるようになっていたし、何よりも少し大人になって社交的になっていたって証拠ね。 でも、お目付け役がいたんでしょ。」
母 「静子お母さんの従兄弟の田さんで、当時のJTBの社員でヨーロッパからアメリカに来て、日本へ帰る途中だったの。 これ幸いと、一人で日本へ帰国する私のお目付け役をたのんだってわけ。」
私 「二十歳そこそこ、嫁入り前のお嬢さんだものね。」
母 「それでも船での生活は、毎晩なにかしら催しものがあってあきることはなかったわね。だいたい映画とダンスパーティが交互にあったし。」
私 「ダンスって、社交ダンス? お母さんはどこで習ったの?」
母 「習うって? そんな難しいダンスはやらないし、ちょっとステップを覚えれば、後は男の人がリードしてくれるしで、困ることはなかったわ。」
私 「一人で乗っているのに、誰と踊るの?」

左:JTBのS氏 愛称Shorty   右:Mr. M. Den
母 「いろんな人よ・・誘ってくれるから。 船には田さんと同じJTBの社員が団体の添乗員として乗っていたし、船内銀行の銀行員とかって、夫婦連れじゃない男の人が結構いたの。」
私 「そうか・・お母さん若かったんだものね。」
母 「若い独身の女性なんて私と、もうひとりアメリカ人の女の子しかいなかったから。 にぎやかしの役割とかよくやらされたの。 乗船客から寄付をつのるときとか。」
私 「にっこり笑って『お願いしま〜す。』とかやったのか。 ちやほやされるのもまんざらじゃなかったとか?」
母 「お目付け役の田おじさんに『あまりハメをはずさないように』とは言われたわね。」
私 「でも、社交性も勉強のうちだものね。」

上:往きの船でもお会いしたパーサー・タチバナ


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