サンフランシスコ再び 1938年6月

母 「大陸横断鉄道でニューヨーク、シカゴを通って、サンフランシスコ。 ここで行きと同じ秩父丸に乗るのよ。」
私 「このSuzyって女の人はだれ?」
母 「Suzyのお父さんがK次郎おとうさんと同じ日本郵船にいて、私たちの家のあったNew Rochellからほど近いPelhamって町に住んでいて、よく行き来をして仲良くしていたの。 私が日本へ帰る半年くらいまえにSuzyのお父さんがサンフランシスコに転勤になっていたんだけど、私が帰国するというのを聞いて見送りに来てくれたの。  たしか私より一歳下だった。 Suzyのおうちは華族で、彼女は御姫様なのよ。 ものすごくきれいで、人気者だったわ。」
私 「サンフランシスコから帰ったから、今度は完成したGolden Gate Bridge を見たんでしょ?」
母 「そうそう、そうなのよ。  行きは橋げたがなくて、鎖がだらーんと下がっていただけだったけど、今度はちゃんと出来上がっていたの。 数年後にK次郎お父さんたちが日本へ帰国するときはシアトルから船に乗ったから、私しか見てないのよ。」
私 「でもさ、ひとりで船旅・・・さびしいわね。」
母 「ぜーん、ぜん!! 英語もずいぶんできるようになっていたし、船のようすは分かっているし、サビシイなんてことなかったわ。」
  
左:1936年にIRENEが見た未完成の金門橋   右:現代


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