Tony叔母の記憶:富士丸撃沈1943年【続編1】

介護施設にいるIRENEさんのお見舞いに神戸から実姉Chrisが我が家にやってきました。
私   「ちょうどいいときに上京してくれたわ! 大変なことが起きているのよ。」
Chris 「どうしたの?」
私   「私のブログの記事でもう6年も前のもののことよ。 Tony叔母様(筆者註:私たちの母IRENEさんの一歳下の妹)が戦時中に台湾から日本へ帰国するときに乗っていた船の「富士丸」が米国の潜水艦に爆撃を受けて沈み、叔母様は10時間以上、海で浮遊物につかまって漂流していたところを駆逐艦に救助されて助かったというお話を覚えているでしょう? 6年前に叔母様はその当時の事を思い出したとおっしゃってメールを私に下さったの。 私はそのメールをブログで紹介したのよ。」
(註:当時のブログはこちらです)
Chris 「もちろんそのお話は覚えているわ。 すっごく衝撃的だったもの! 今だったら世間も大騒ぎになるような事だわ!」
私   「その叔母様のメールに、遭難して救助されてから、やはり遭難して親にはぐれた子供を叔母様が預かったというくだりがあるのよ。 ほら、これ。」
Chris 「ふむ、ふむ・・」
私   「そしたら、ごく最近になってこの記事にコメントがついたの。 なんとご自分はその時の叔母様に預けられた子供だとおっしゃるのよ。」
Chris 「なんですって?!! ほんとなの??」
私   「その方は当時1歳か2歳くらいで、一緒に船に乗られたお母様はその遭難で亡くなられてしまったのですって。」
Chris 「……..」

私   「その方がご紹介くださったご自分のホームページには、すごい資料がたくさんあるのよ。 その方のお父様がね、なくされた奥さまのことを偲んで書き遺された手記やね、その方が、どんなふうにしてその船が撃沈させられて、お母様がなくなられたのかを長い時間をかけて調査された資料が沢山あるの。  船に乗り合わせてやはり九死に一生を得られた方の回想録へのリンクもあって、爆撃を受けた船と乗員乗客がどんなだったか詳細に書いてあるのよ。 一部プリントアウトしたわ。 ほらこれよ。 読んでみて!」
Chris 「今からもう、70年も前の事なのに、こんな巡りあわせって・・・。 インターネットってすごいわね。 貴女のブログにこんな力があったなんて。  IRENEさんが知ったらさぞ感心するでしょうね。」

それからしばらく、資料を読む私たちでした。 (つづく)



ブログに頂いたbikkuriさんのコメントを下に引用させていただきます。
「小生のサイトです 仲間内の便宜の為ゆえ拙い作りですがご訪問ください。
「『遭難』を辿る」と題してまとめた冊子も載せております。
 富士丸遭難の資料を集めていらっしゃるとのこと。
「『遭難』を辿る」の 追補 もご覧下さい。
  https://sites.google.com/site/teruteru250928/(悠悠閑閑)」