太巻きのこと


亡父から聞いた話。 終戦後約1年たって、父は戦地から帰ってきた。 戦地で何をどうしていたか私たちは聞いたことがない。 訊ねたこともなかった。 家ではそういう話はしない・・そういうものだと私たちは思っていた。  そんな父から聞いたたった一つの復員したときの話・・・どこかの闇市のことなのだろうか、台の上にたくさんの太巻きをのせて売っている屋台があったという。 当時みたこともないような銀シャリ太巻きだった。 それがまるで薪のように積み上がっていたというのだ。 いったいいくらだったのだろう、父は一本買って食べたという。 太巻きを切る事もなく、まるかぶりした。 むしゃむしゃと食べた。 そのなんとも言えない旨さが今でも忘れられないと言っていた。
その父が亡くなったのは平成6年である。 その頃ですら、節分に太巻きをまるかぶりするなど、関東にそんな習慣はなかった。 行儀が悪いなと今でも思う。 そして、復員姿のやつれた父が、太巻きを旨そうに食べる姿がどうしても重なるのだ。  美味しそうだなあ・・といつも思うのだけれど。
ここまで書いて、父が復員してきたときの事を母が句に詠んでいるを思い出した。
   憂きことは 語らず海苔を 焼く朝餉

   憂きことの ひろごり消ゆる 芋を植う

   春泥を いとわじ君と 並び行く

いずれも早春2月、3月の頃の句だ。 そうだ、太巻きが積み上がっていたその日は節分だったのかもしれない!  父が大陸から船で帰ってきたのだから、関西だ。 そう思えば合点がいく。 東京の家にたどりついた時は季節は春だったのだ。 恵方巻き、急に身近になったりして。