北米大陸横断鉄道1936年(その2)

母のひとつ下の妹であるTONYさんから1月21日付けのログにコメントを頂きました。この機会にみなさんの貴重な記憶を芋づる式に掘り起こしたいと思い、ログにアップさせていただきました。
以下、TONY口述、HISACHAN代筆
『横浜から父が勤めていた会社の客船秩父丸に乗りました。途中立ち寄ったハワイのホノルルではフラダンスを見ました。市内に銭湯まであったのにはびっくりしました。
翌日、アロハオエに送られてサンフランシスコに向かいましたが、サンフランシスコ入港前日に2.26事件が起きたというニュースが入りました。
この船ではアメリカ遠征に向かうジャイアンツの一行と一緒でした。私達は父の会社の船だったので1等船室でしたが、ジャイアンツの一行は2等船室でした。選手の中には、沢村、スタルヒン、内堀などがいましたが、甲板で毎日、練習をしていたのを思い出します。
ある日、船の階段でスタルヒンとすれ違ったときに、私が「スタルヒン」と声を掛けたら、スタルヒンが手を振ったことも思い出します。
サンフランシスコに着いてから、ヨセミテに行きました。ホテルに着いたらボーイが日本人で、当時はまだ、それほど日本人客が来ない時期ですから嬉しかったのでしょうか、「日本の方ですか」と声を掛けられました。
そのあと、ロサンゼルスに行きました。ロサンゼルスではMGMのスタジオを見に行きました。そこでは、「サンフランシスコ」という、歌のうまい女優(ジャネット・マクドナルドかな?)の映画のセットを見ました。ほかに、1932年のオリンピック・スタジアムを見ました。
そこからは、そのままシカゴに向かったのだと記憶しています。シカゴでは現地にいた船会社の人に市内を案内してもらいました。そして、汽車でニューヨークまで行きました。ニューヨークではしばらくホテル住まいでした。70年以上も前の話です。』

母のコメント「良く覚えてるわ、さすがだわねぇ。私はもう忘れちゃって・・だめよ。でも、そうそう、ニューヨークでの最初のホテルは『日本人クラブ』だったわ」
私「姉妹でも覚えている景色が違うのよ。見ている個性が違うからね。・・だから面白いんじゃん。」