秩父丸1936年

ブログの記事に反響があって、HISACHANからアメリカ行きのときの写真(1936年)を送って頂いたのでご披露します。
一番右が母、祖父、母の妹のTONY、祖母、祖母の前の小さな男の子が母の10歳違いの弟のYASUです。ハワイのホノルルに停泊中(?)の写真だそうです。

私「船は秩父丸ね。『チャイチャイブー』って言われてたんでしょ。なんかで読んだわ。」
母「一番左はタチバナさんと言ってこの船の事務長さんよ。私はアメリカからの帰国の時も船でこの人に会ったから覚えているわ。和服の方はモリヤさんってやはり郵船の人だったと思うけど。」
私「お母さんと叔母さんはお揃いの服を着ているわね。なんだかとても楽しそうじゃない?」
母「私は初めてのアメリカだったからもう見るもの聞くもの驚くばかりだったのよ。写真の私、ハスをむいているのは他の写真と同じね。なんせ60キロはあったからね。」
私「スタルヒンの写真見たけど、結構ハンサムねぇ」
母「この写真は随分オジンね。見たのはもっと若かったワ。YASUがスタルヒンに指で胸をつつかれてね。『え?』と下を向くと『ホラお辞儀した、お辞儀した』ってからかわれていたわ。」
私「船と汽車でニューヨークに行って、最初はホテル住まいだったのね。」
母「最初は家探しよ。お祖父ちゃんは仕事をしながらだったから大変だったわね。いつもお祖母ちゃんと出かけて行って家探し。私たち3人はホテル(日本人クラブ)で留守番。」
私「昔も、ニューヨークで子供だけで出歩くなんてできなかったのね。」
母「もう、だからストレスの固まりみたいなものよ。二人でYASUをいじめたりしてウサ晴らしてたっけ」(笑)
母の回想はとどまるところを知らず、週末の夕食の鍋が焦げ付きそうになりました。