ニューヨーク1936年

私 「ニューヨークにたどりついてずっとホテル住まいだったのね。」
母 「最初は日本人クラブにいて、両親はずっと家探し。そのうち、ホテルを移ったの。ホテルコマンダーっていうところ。」
私 「そっちのほうが安かったからかしらね?」
母 「どうだったかしら? 街中でブロードウエイやセントラルパーク、ハドソン川にも近くて便利なとこだった。」
私 「検索したら出てきた、ホテルコマンダー。今でもあるみたいよ! Google Earthで地図も出してみたわ。どう?」

母 「そうそう、この辺りだわ。まったくなんでも出てくる便利な世の中ねぇ」

私 「この写真はYasu叔父さんね。ホテルで留守番ばかりじゃつまんなかったでしょうね。」
母 「Yasuはこのホテルで一人で針金で遊んでいて、コンセントで焼けどしたのよ。両手が真っ黒になってしまって。」
私 「びっくりしたでしょう?」
母 「K次郎おとうさんがドラッグストアに抱えて行ってね。その頃アメリカのドラッグストアで応急的な治療処置はしてくれてたの。」
私 「医療体制は日本とアメリカってぜんぜんシステムが違うもんね。」
(医療従事者としては話がそっちへ行ってしまいました。)