ふきのとうの煮物

材料は買ってあったけど、あまり料理をする時間がなくて、「甘塩のタラがあるから、シチューの残りに入れてもいいし、バタ焼きでもいいわよ。それからゆでたほうれん草は早めに食べてね。」とだけ母に伝え、「なんとかなるさ」と家を出ました。
夜に帰ってくるとバタ焼きのタラとほうれん草が出来上がっており、その前に見かけぬ一品が。
「TONY叔母さんが、お庭のふきのとうを送ってきてくれたのよ。私が煮たの。」
母の祖父、大津のK之祐おじいさまが良く食べていたというあのふきのとうの煮物でした(2月17日付けログ参照)。
最近、母は腰の調子のよいときは、台所にも立つようになっています。
これは、日本酒をいただかなければと、お気に入りのぐい呑みを登場させました。
煮物は春の香りが凝縮されこっくりと仕上がっていました。

K之祐おじいさまは郵船の創立に関わったという人なのですが、母が大津で祖父母と一緒に暮らしていた頃は引退して悠々自適だったらしいのです。
母 「お酒は好きだったわね。晩酌は欠かさなかったから。お酒に強かったからひどく乱れることはなかったし。ある日大津の花街の芸妓を2,3人連れて家まで帰ってきたことがあってね。」
私 「へぇ〜、それは大変。そんなときおばあさまは?」
母 「一緒になってわいわいやるのよ。芸妓さんたちはお行儀も良くて、おばあ様にもきちんと挨拶するし、おばあ様も丁寧にお礼を言うの。」
私 「へぇ〜!?」
母 「家内という地位は格段の差があったからね、堂々をしたものよ、それが当たり前だったの。 置屋の女将さんは盆暮れには髷を結って黒紋付着て挨拶に来るし。K之祐おじいさまはどうもその女将のファンだったらしいのよ。」
私 「すみにおけないなぁ」
母 「ある日、お家の2軒隣が火事を出して大騒ぎになったのよ。幸い家には被害が及ばなかったけど、例の置屋の女将がすぐさま『奥さまぁっ』って言って駆けつけてくれたの。おばあさまったら喜んじゃってね。」
粋な芸妓がそうやって家に出入りするのを、母は当たり前のように思って見ていたそうです。
TONY叔母様、ふきのとうをありがとうございます! 母の楽しい思い出も春風に乗って送られてきたみたいです。