ニューヨーク・ニューロッシェル・ハイスクール1936年

[:H300:right]私 「これこれ、学校もちゃんと昔のまま残ってたのよね。お父さんも数年後に見にいってるし、私たちも1994年に見に行ったわね。あの人の顔みたいな塔が昔のまんまで。」
母 「私は大津の女学校の最終学年の3学期を残してたのよ。でも、なんか卒業したことにしてくれちゃった。ニューロッシェルのハイスクールでTonyは編入したけれど、私はPost Graduate のコースだったの。日本みたいな時間割りで授業があるんじゃなくて、自分で好きな科目を勉強できるシステムだったのよ。私は授業もお裁縫とかお料理とかの科目を選んだの。あと英語ね、大津の女学校で使っていた教科書を見せたら3年生のクラスに入れてくれたんだけど、ちんぷんかんぷん。ひとつグレードさげてもらったの。Tonyは優秀だったからスカラシップクラブという優等生のグループに入ってたわね。」
私 「英語はどうだったの? 」
母 「使った教本の小説がK次郎お父さんが大学で勉強したものだったの。 夜、家でK次郎おとうさんに教わりながらなんとか意味だけはわかるようにしたの。」
私 「公立の学校だったのね」
母 「教科書、筆記具は全部貸与なのよ。何ひとつ持っていかなくて良かったの。いい学校だったけど、英語以外は易しすぎてつまんなくなってやめてしまった。で、ひとりでマンハッタンのYWCAのお裁縫のクラスに行く様になったの。」
私 「マンハッタンに通ってたのね。」
母 「YWCAに行く前によく映画一本見てから行ったりしたわ。」
私 「あら〜随分楽しんでいたじゃないの。でも、そうやって英語に慣れていったんだわね。」