237 Coligni Ave. 1936(その4)島 秀雄さん


さて、写真は左からH家の母Irene と叔母Tony 叔父YasuとS子おばあさま、後列右端はK次郎おじいさまの上から2番目の姉の息子さん、すなわち母達の従兄である島 秀雄さんです。
実名なのは島さんは多くの人に知られているからです。 『新幹線の生みの親』であり、ウィキペディアWikipedia)の文章を見ると『「デコイチ(デゴイチ)」のあだ名で知られる貨物用蒸気機関車D51形の設計に関与し、新幹線計画の実現において、国鉄総裁であった十河信二、新幹線総局長を務めた大石重成と共に、マクロ的な立場から大きく貢献した。』とあります。 (2004年にテレビ東京開局40周年記念ドラマ「新幹線をつくった男たち」で、松本幸四郎さんが島 秀雄さんを演じました。)
島さんのお歳は母より18歳上。 1936年では既に鉄道省に入省されていたと思いますが、1ヶ月ほどニューロッシェルのH家に滞在されたとのことでした。

母 「なんでも友達と自動車でアメリカを横断するのだということで、西海岸で車を買い、長いことかけてニューヨークに来たのよね。その車をうちにおいて、しばらく出たり入ったりしていたわ。」
私 「どうしてそんなに自由な時間があったのかしら?」
母 「どうしてだか忘れちゃった。 家に居て、どうかすると、『シティへ行こう。』とか行って車で連れて行ってくれるのよ。 秀にいさんって普段はお行儀もよくて紳士で、緻密で物静かなのに、車に乗ると人が変わったように・・・」
私 「ぶっとばすわけね。」
母 「とばすだけじゃなくて、ブレーキーのかけ方やカーブの仕方もそれはそれは凄いのよ。 私、怖くて怖くて車の中で足を踏ん張っていたわ。」
私 「若い女の子を『きゃーっ』って言わせたかったんじゃないのかしらね。格好いいところを見せたかったんじゃない?」
母 「そぉんなんじゃないのよ。 だってニューヨークから西海岸へ車で帰る途中で2回も事故おこしたっていうのよ。 最初のなんかひっくり返った車の写真なんか送ってきたりして。 車はサンフランシスコで売るつもりだったけど、事故を起こして売れなくなって、結局修理して日本へ持って帰ったって聞いたわ。 普段の様子と車のときのギャップが大きくって驚いちゃった。」
私 「以前、島 秀雄さんのアルバムのコピーを弟のF雄さんが送って下さったけど、ニューロッシェルでの写真が沢山あって、秀雄さんにとっても楽しい思い出だったんじゃないかしらね。」