装甲巡洋艦『磐手』1936年


私 「これは船みたいだけど、このものものしい人はなに?」
母 「これは『磐手』(いわて/いはて)という日本海軍の軍艦よ。米国に来たのでアット・ホームと言って、招待客に公開したのね。 S子お母様の妹の義妹の御主人の関係で呼んでくださったの。」
私 「へえ、まだこの頃は日米間は良かったんだ。 『磐手』って調べてみたら1901年3月18日に建造された装甲巡洋艦ですって。 船体の大きいこと、居住性の良さなどから主に練習艦隊参加艦(1916年(大正5年)より)として遠洋航海に従事して、多くの士官候補生を育てたそうよ。1936年は訓練で米国に寄ったのね。排水量9826トンですって。」
母 「あら、そんなに大きいの? もっと小さかったような気がするなあ。」
私 「お母さん達、軍艦なんか興味なかったんでしょう? 見てよこの写真、人ばっかり写して・・。 日本が誇る軍艦なんでしょ、もっと船を撮って欲しかったわよねえ。 このお嬢さん方は軍艦のデッキでファッションショーをしてるんだから。 随分めかしこんで行ったのね。」
母 「だって、お祭りみたいなもんだもん。 日本人客が沢山いたからオデンなんかふるまわれたし。 外人が「これは何なんだ?」って聞いきて、K次郎お父様が "We call it ODEN!"って答えていたわ。」
私 「日本の軍艦の公開日に外人もいたのか、まだまだ平和だったのね。」

なお、ウィキペディアWikipedia)によると、この後、磐手は海防艦の定義見直しにともない1942年(昭和17年)7月1日に1等巡洋艦に復帰。1945年(昭和20年)7月26日、呉軍港空襲で戦没するまで練習艦として使用され、戦後引き上げ解体されたとのことです。

      装甲巡洋艦『磐手』


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