飯倉1920年?


私 「この写真はお母さんが生れて2歳になる前くらいね。大正9年頃。」
母 「東京の飯倉に家があってね、キャデラックがあったのよ。でもこの車の写真はこれしかないわ。」
私 「記念写真だからめかしこんでいるんでしょうけど、リボンのついたレースのお洋服にこの車、ハイソだわねえ。 調べてみたけどこの頃のキャデラックでは後部座席のドアがこの位置にあるのはCadillac Phaeton だけみたい。こんな型」

母 「うーん、幌じゃなかったと思うんだけど。覚えてないわよ。」
私 「それにしても、当時だったらすごい車よね。」
母 「そう、一緒に住んでいたK之祐お祖父様は船会社でまだ現役だったからね。 次の写真は年子で生れたTONYと一緒のところ。」

私 「1922年(大正11年)に両親はTONY叔母さんだけ連れてシンガポールへ赴任するんだ。」
母 「K次郎お父様はK之祐お祖父様と同じ船会社にいて、家族連れでは初めての海外赴任だったの。 幼子ふたりは大変だから、上の子だけおいて行けっておばあさまに言われたのよ。 この写真がS子お母様とTONY がシンガポールへ行くところ。」

私 「そうか、船は諏訪丸ね。 デッキでS子御祖母さんがTONY叔母さんを抱っこしている。見送りの紙テープが悲しそう。 これっきりお母さんは日本に置いてきぼりでずーっと家族とは離れて生活することになったのね。 それも1936年にこんどは親子全員でアメリカへ渡るまで。」
母 「置いていかれたときは小さすぎて、何もわかってなかったわね。 でも、物心ついてからも、その状況が当たり前だったし・・。」
私 「でも両親と離れたこの翌年、関東大震災にあうんだ。」 (続く)


    諏訪丸
「諏訪丸」は、大正3年竣工、欧州航路の貨客船。昭和17年、海軍が徴用し特設運送船(雑用船)となる。18年3月、ウェーキ島付近で米潜水艦3隻からの雷撃で損傷、珊瑚礁に擱座、放棄された。(日本郵船歴史博物館サイトより)



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