飯倉1923年

私 「関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日午前11時58分に起きたのね。お母さんは4歳と6ヶ月。地震の時はどうだったの?」
母 「外で運転手に遊んでもらっていたらグラグラっときて、運転手の人は私を抱えてオロオロし、玄関から家の中へ入ろうとしたの。 そこへおてふ(ちょう)お祖母様の『入っちゃいけませんっ!!』って声がしたの。」
私 「マグニチュード7.9だから、最初はとても動けないわよ。 それは地震が少しおさまってからのことだと思うわ。 それにしても的確な判断ね。 本当におちょうお祖母さまはいつでも冷静で、しっかりしている。 すごいわ。」
母 「飯倉の家は半分つぶれちゃって。 応接間にあった暖炉の上のれんがの煙突が倒れちゃったし、お玄関を入ったところにある小部屋の屋根が落ちちゃって、見上げると青い空が見えたのを覚えてる。」
私 「げっ、それで?」
母 「飯倉あたりに住んでいた人たちはみな芝公園へ逃げたのよ。 大きな池があったわ。 魚屋の人だったか誰だったかに会ったら、頭から血がポタポタと落ちていて、着ている着物まで赤く染まっていたのよ。」
私 「小さい子にはショックだわよね。 街は火災もひどかったんでしょう? お父さんからもこの地震の話は聞いたわ。 お父さんは13歳くらいで東京にいて、地震の後、無事を知らせるために電報を打ちに行かされて、電車の線路を枕木づたいに歩いて行ったって。 振り返ったら街の空が真っ赤だったって言っていた。」
母 「私たちはね、地震の後、高輪にあった伯母さんの家がちょっとゆがんだくらいで壊れてなかったから、私はしばらくそこの家にやっかいになったの。 家が残っている親類が他にもあって、皆ばらばらになって過ごしたわ。」
私 「でも、居候も限度があるわよね。」
母 「そこでK之祐お祖父様一家は地元の滋賀県大津に引き上げることにしたの。」
私 「お母さんの大津での生活が始まるんだ。」(続く)

写真は赤坂見附付近の倒壊家屋 東京科学博物館サイトより。

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