大津1920年代・その2

私 「こんにゃく鉄道って家のすぐそばから出てたのね。」
母 「そう、おさとさんと一緒にほとんど毎日ように見に行っていたの。 学校で近江舞子に泳ぎに行くときはこれに乗って行ったのよ。」
私 「あら、泳いだの?」
母 「泳がない。おばあさまからきつく止められていたもの。 張られたテントの下で皆が泳ぐのを見ていただけ。 今から思うと、どうしてそんなわがままな事が許されたのかしらね。」
私 「湖に藻がたくさんあってあぶないからおばあさまは止めたんじゃないかってHISACHAN が言っているけど。」
母 「藻なんてないわよ。ちゃんと整備をして水泳場として囲っていたんだから。おばあさまだって知ってたはずよ。」
私 「へえ。」
母 「K次郎お父さんが、『ちゃんと泳ぎを習わせてやってくれ』って抗議したのはね、自分が泳げないからよ。自分も『あぶないから』って泳ぎを習わせてもらえなかったらしいわ。」
私 「うそみたい、あの秀才のK次郎おじいさんが泳げない? 初耳だワ。 とんでもない過保護だったのね。」
母 「なんか私だけ特別みたいで、へんな気分だった。  学校から帰り道にね、私の姿を見ると近所の商店の子供が数人並んで『お嬢様、お帰りやす』って言うのよ。 私そうやってまつり上げられるのが厭で厭で、下向いてとんで帰ったの。 そしたらおばあさまが、『そういうときは「ただいま」と言えばいいんです!』って言うのよ。」
私 「そういう時代背景だったのね。」
母 「その頃、K之祐おじいさまが隠居仕事に始めた『近江信託』って会社が浜通りにあって、私は学校の帰りに寄ったりしていた。 おじいさまはちょうどお昼を召し上がっている頃で、私もちょっとお相伴させてもらったりしたのよ。」
私 「K之祐おじいさまがそんな会社をやっていたの? またまた初耳だわ! やっぱり町の有力者ってイメージが濃くなってきた。」
母 「そのお弁当は、お昼にじいやが毎日届けるんだけど、昔のお花見弁当みたいな塗りの箱でね。おかずの入った引き出しがいくつもついていて素敵だった。」
私 「おじいさまはおかあさんと遊んでくれたの?」
母 「まさか。 会社は男の人ばかりだったけど、一人だけ女の人がいてね。 タイプライターを打っていたの。その人が相手してくれた。」
私 「雇い主の大事なお孫さんだものね。 大津の家、だんだん様子が解ってきてワ、面白い!」

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