大津のおじいさま

私 「大津のK之祐おじいさまって大津市長の選挙に出たんでしょ?」
母 「出たんじゃなくて担ぎだされたのよ。有力候補の対抗勢力に強引に。 おじいさまはぜ〜ったいにヤダって言い続けていたのによ。 昔のことだからね。 選挙の結果は同数票で、年長者のおじいさまが当選になったの。 私ラジオでアナウンスを聞いたから覚えているわ。
私 「それでも市長にならなかったんだ」
母 「固辞し続けて、結局『すでに頽齢その職に堪へず』つまり老齢の為ということで、どうにか収まった。」
私 「今だったら、とんでもない大騒動だわ。 でも、本当にその4年後には81歳で亡くなってしまうのね。  K之祐おじいさんは二十代で共同運輸会社の設立に加わり、その後、郵便汽船三菱会社と合併して郵船となった後もずっと海運一筋で要職にあったし、朝鮮で郵船の子会社を作ったから、朝鮮に赴任していたこともあったんでしょ。」
母 「そう、むこうで何かの病気になって、T之祐伯父さんと、H世の伯母さんがお見舞いに朝鮮までいらしたなんてこともあったわ。」
私 「国際感覚も身に着いてるし、先進的だし、金融界にも顔がきいていわゆる土地の名士だったわけね。」
母 「お葬式には、ご門の前からお花の列がすごかったわ。」
私 「大津の家はおてふ(ちょう)おばあさまとお母さんだけになってしまうのね。 それにその2年後にはお母さんまでアメリカに行ってしまうんでしょ。」







ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 シニア日記ブログへ ←ポチっと押してくださいませ。