別れの日

母IRENE が大津のおばあさまのもとを去る日のことは、私の母方の祖父K次郎さんの手記にあります。
以下、引用
「昭和十年に上海から、こんどは、ニューヨークへ転勤することになった。  わたしは、ひとつには、子供たちにぜひアメリカを見せておきたかったし、ふたつには、自分の子供を全員膝下におく好い機会である、と考えたので、母に長女もアメリカへ同伴したい、と申し出た。  すでに父を失っていた母は、しきりに難色を示した。 私は若いころから、ずいぶん母に心配をかけたと思っているが、この時ほど、母に対して罪なことをしていると思ったことはなかった。 それをわきまえていながら、わたしは母を説き伏せるのに努めた。
わたしたちが郷里の母の家を出たのは、昭和十一年二月の雪の深い午後であった。  母は大玄関の敷台の上に一人立って、顔に両手をあてて声を上げた。 この大きな屋敷の中には、もう、母と五人の召使の他には誰もいないのである。 いまでも、この時の光景を思い浮かべると、七十を越えたわたしのほおに涙がつたわる。 そしてこれが、わたしの母のみおさめであった。」


この祖父母と母が暮らした屋敷は日吉神社に移築され、かなり傷んでいますが、この大玄関もそのまま残っています。 そこに立つと私たちは会ったこともないおてふ(ちょう)おばあさまの面影が浮かんでくるのです。
つれあいを亡くし、いままた手塩にかけた孫娘を手放し、息子一家の後ろ姿を見送らなければならない寂しさを思うと、胸が痛んでたまらなくなるのでした。





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