氷川丸2008年、そして秩父丸1938年、すき焼きパーティ

 
ふと思い立ち横浜の氷川丸を見に行ってきました。 晩御飯は横浜中華街で買ってきた餃子です。
客寄せパンダ状態だったあの氷川丸・・古巣の日本郵船に管理が移管し、約10億円をかけて修繕・改装が行われ、すっかりきれいになっていました。 ウン十年前のある日、子供向けの怪獣イベント会場にされて、船の丸窓からテラノザウルスの模型が顔を出しているのを見て、あまりの哀れさにKOINOBORIは涙したものです。 やっと本来の姿に戻って船もうれしそうに見えました。

ダイニングやサロン、喫煙室は落ち着きを取り戻し、アールデコの美しい装飾が映えて、こんなに美しい船だったのか・・と感動しました。 客室内も美しく整えられており、毛布が花の形や扇の形、波の形などにそれぞれメイキングされていました。
母 「そうそう、秩父丸でも一等船室は毛布をいろんな形に折りたたんでこんな風にベッドメイキングしてたわ。思い出した。」
私 「私がバリ島からミニクルーズ船で旅したときも、毎日ベッドの上にバスタオルが白鳥やら、お花やらいろんな形に折りたたんであったわ。クルーズ船の習慣なのかしらね」
母 「氷川丸は日本とシアトルを通ってたのよ。 私が乗った秩父丸より一回り小さい。」
私 「今日の氷川丸にねえ、すき焼きパーティを再現した展示があったのよ。 郵船の外洋客船の名物だったんでしょ? ほらこの写真。」

母 「これこれ、これよ。この小さなちゃぶ台で。日本人の旅客は喜んだわ。 プロムナードデッキに畳敷いて、ちゃぶ台おいて。 外人は物珍しそうにのぞきに来ていたわ。」
私 「見て、これはすき焼きパーティの案内パンフレットを展示してあったんだけど、外人がすき焼きに挑戦している姿を描いた当時のユーモア漫画よ。 まず、座れないし、お箸も使えないからすき焼きを小皿からすすってるのを見て、日本人の給仕がせせら笑ってるのよ。」

母 「へえ〜」
私 「それで、これがお母さんがアメリカから帰ってくるときの秩父丸でのすき焼きパーティの写真。」
母 「奥で女装してお給仕しているのは船員さんよ。」
私 「船長さんも一緒で、楽しそうねぇ。 でも、おかあさんたらパーティだからってお化粧に気合入りすぎ、ハレーション起こしているわよ。ハハハ・・・」


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