『私の俳句雑記』 by IRENE (その2)

今から何年も前、母が原稿用紙に書き自室にうちすててあったものを私がワープロに収めました。 IRENEさんの承諾を得たので数回にわけてここにご紹介しています。  今年もあと数か月で終戦記念日がやってきます。 
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   立哨や 夜目にも白き 梨の花
昭和19年頃になると、夜度々空襲警報が鳴るようになった。  町内各戸順番に、警報が解除になるまで、道の角などに、歩哨に立たなければならなかった。  男の人は皆年寄りばかりになっていたので、出るのは女ばかりであった。
家でも、主人S一郎の妹M子は結婚し、弟Y次は出征していた。 主人S一郎は上海に転勤になり、義父と義母のほか、若い者は私一人であった。
   もんぺいの 去年今年(こぞことし)なき よごれかな
いつ逃げなければならないか分からないので、寝間着に着替えることができず、昼着のまんま、足袋もはいたまま寝た。 これは去年から着たままだ、というお正月の句。(昭和20年)(もんぺいと言うのは着物地をズボンのように縫った作業着)
   つづく


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