『私の俳句雑記』 by IRENE (その5)

今から何年も前、母が原稿用紙に書き自室にうちすててあったものを私がワープロに収めました。 IRENEさんの承諾を得たので8回にわけてここにご紹介しています。 
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     矢車も吹き流しもない鯉のぼり 庭にあった一番高い銀杏の木で支えてある
次の年(昭和22年)の7月に長男の正昭(MIKE:管理人注)が生まれた。 食べ物は相変わらず乏しかったが、幸い元気な子供であった。 義妹のF佐子さんと、M子さんと、三人がお産をするはずであったが、生まれたのは正昭一人であった。 ことにF佐子さんは早産し、それが原因で三人の子供を残して亡くなった。 三人同い年の子供が居るはずだったのに、未だに心残りである。

それでも、実家の父は喜んで
   甚平着て すくすく育つ 子なりけり
の句を祝ってくれた。また母は折りにふれて、食べ物を届けてくれた。
正昭は生後一年ぐらいの時、百日咳にかかったが、それ以外は全く丈夫な子であった。
   蕗むく手 休めねば子の 泣きて来ぬ
   蕗むくや 昼寝さめし子 よりそいて
   蕗むく手 黒ずみ吾子の いぶかりぬ


正昭の生まれた年の十月に義父が亡くなった。 もともと病身であったのが、戦時中の無理と栄養不足が、死期を早めたと思う。意志堅固な礼儀正しい古武士のような風格のある方であったので、残念な事であった。  しかし、正昭が生まれたのを見て、亡くなったので、せめてもよかったと思っている。
                   つづく
管理者より
このログの写真はアルバムではなく、MIKEが生まれたときにプレゼントされた「ベビーブック」にIRENEさんが貼り付けておいたものです。  今回、この俳句シリーズを編集するにあたって初めて目にしました。
この矢車も吹き流しもない、まるで釣り竿のような鯉のぼりの写真を見ていると、胸にこみあげてくるものがあります。
戦後間もない、物のない時代のこと。 たった一匹の鯉が、庭で一番高い場所を泳ぐ姿を見るだけで、この家族の心の高揚が感じられます。  
今から3年前にMIKEは一足早く、この鯉のぼりよりももっと高いところへ行ってしまいましたが、またみんなで必ず会えると信じています。




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