箱根丸・1935年(その1)

母IRENEさんの記憶は自分が幼児期と十代を過ごした大津時代に記憶のアンテナがむいたまんま。 自分のご主人と子供のことは飛び越えてしまったのかなかなか話題に上ってきません。 なんだかな〜。 
晩婚で、そのうえ子供が遅かった父S一郎さん。 しかもその3人目末っ子の自分。 父とほとんどスキンシップがありませんでした。 生きているときは怖くてけむったいばかりの父でしたが、今思い出すとき真面目さ、その几帳面さはとても懐かしく感じられます。
一時期、カメラに凝っていた父が持っていたアルバムは膨大なものでしたが、80歳を過ぎたころ、それこそ思いっきり引き算をして厳選した写真だけをアルバムひとつに丁寧にまとめてました。
雨に降りこめられた先週末。しばし、ひも解いてみました。

下の写真は1935年10月3日、神戸から貨客船の箱根丸に乗ってロンドンへ赴任していくときのものです。 もちろん父S一郎は独身。 古いでしょ。

下:見送りの人に手を振るS一郎さん。

下:船長主催の茶会。 日付は既に10月31日。 まだ目的地のロンドンにはついていなかったのがわかります。 上海や、香港、シンガポール・・あちこちで停泊しながら延々と旅をしたらしい。 もっと話をちゃんと聞いておけばよかった。
母が1936年に渡米の際に乗った秩父丸総トン数17,498だったのに対し箱根丸は10,423。 デッキも狭い。 

下:箱根丸

第1次世界大戦の戦禍による喪失船の補充として大正9年(1920)2月に3隻建造決定された1万総トン級、速力16ノットの貨客船で主機に2段減速タービンを採用した。 三菱造船株式会社長崎造船所(長崎)建造。 1943.11.27(昭18)高雄から門司へ向け航行中、台湾海峡鳥丘興の東北東12浬(25.04N,119.40E)で空爆により沈没。


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