3月11日のこと

3/11(金)に発生した東北関東大地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様とその家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
ひと月前のこの日・・・震度5強・・・地震が起こったときは私たちは職場の昼休みでした。 わたしと同僚はテレビで国会中継を見るともなく見ていました。 テレビから一報が入り、身構えていると揺れ始め、奥の事務室にいた社長の「外へ出ろ!」の声で目の前の通りに出ました。 電信柱が今にも倒れんほどに揺れており、同僚と肩を抱きあい道の真ん中にしゃがみ込んでいました。 それを笑って見ている人がいたのでちょっとおおげさだったのでしょうか。 近くに20代の女の子が携帯を抱きしめしゃがみ込んで震えています。 「だめなんです・・地震」  私と同僚はその子の手も一緒に握りました。「仙台だっていうんです、私の家、仙台なんです・・・」

真っ先に思ったのはマンションの7階でひとりで寝ているIRENEさんでした。 最近は電話を鳴らしても出方を忘れてしまったのか、全く応答してくれません。 しかしこの時はイチかバチかでかけた電話にIRENEさんは出てくれました。 良かった生きていてくれてるみたい!
「えらい揺れたの・・、コップが倒れて・・何が何だかわからないのよ・・」
私の職場は医療機関のため、すぐに帰るわけにはいきません。 とにかく無事でいてくれればなんとかなると思いました。 その日、私が帰宅したのは夜8時すぎ。
バケツの水は飛び出し、タンスの上の物が落ち、テレビも倒れて液晶が割れていました。
夕食時に来てくれるヘルパーさんが、7階まで階段をあがってきてくださり、おおかたのものを片付け、とにかくIRENEさんに夕食を食べさせてくれていました。 既にIRENEさんは寝息をたてています。 ヘルパーさんのプロ根性には敬服するばかりでした。 本当にありがとうございました。

数日後にケアマネージャーの方からうかがうと、あの日の他のヘルパーさんたちも本当に大変だったようです。 デイサービスからお年寄りを帰宅させてもエレベーターが使えない。 お年寄りを背負って9階まであがったり、それもできないときは部屋から階段を使って寝具を降ろし、ロビーにお年寄りを寝かせたりしたそうです。 互いの連絡に携帯も使えず、すべてそれぞれの現場の判断でお年寄りの安全を確保したそうです。 ヘルパーさん方もみなさんご自分の家族のことだって心配だったでしょうに。

一時は、これがさまざまに予言されていたこの世の大惨事か・・まさか日本が引き金になるとは・・と暗い気持ちでした。 それでも今は、一か月前とは違うけれど、明日は今日の続きでありそうな日々がまた始まっています。 今回の地震の災害は原発のこともあって、まだまだ予断は許されません。 思うことが多々あり、しばらくブログをお休みしていました。 IRENEさんは自分ではもうテレビもラジオも聞かないのでいやなニュースは耳に入らないようです。 いいのか悪いのか・・。 ただ、デイサービスにはその後も嫌がらずに通い、機嫌良く帰ってきているようなので助かっています。 




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