大津1920年代・その4・北丹後の地震
昭和2年3月7日午後6時27分に、丹後地方でマグニチュードが7.3の大きな地震が発生しました。 この地震は兵庫県南部地震と規模は同じ。当時八歳の母IRENE にとっては関東大震災に次いで二度目の震災でした。
母 「ぐらぐらっときて、私はお女中に連れられ庭へ飛び出したの。 お女中は家に向かって「旦那さまぁ、奥さまぁっ!」と叫んでいたわ。
私 「怖かったでしょう。」
母 「K之祐おじいさまも、おちょうおばあさまも無事だった。 家も壊れず無事だった。 落ちついてから家に入ると掘りごたつのやぐらがひっくりかえしてあり、火のあったところに洗面器がかぶせてあったの。 女中部屋に同じように掘りごたつがあったけど、ここにも洗面器で火の始末がされていたの。 お女中たちは地震のとき一目散に逃げだしたけど、おちょうおばあさまは、ちゃんと火の始末をしてから逃げたのよ。 関東大震災の後の火事を見ていらしたからね。 火事はなんとか出したくないと思ったんでしょう。」
私 「おちょうおばあさまはやはりスゴイ! 腰がすわっているのね。」
母 「おばあさまの実家は林と言って彦根の井伊家に仕えたお侍だったらしいのよ。K之祐おじいさまの家は儒者だったらしくて、おばあさまは何かあると『私は武家の娘でございます!』ってやりこめてらしたわ。 とにかく気丈な方だった。」
舞鶴海洋気象台サイトより、網野駅で転覆した機関車