秩父丸1936年(その2)

私「HISACHANからアメリカの行きの時の写真を送ってきたわよ。これらはお母さんの持っていないんでしょう? それから、インターネットで秩父丸の素敵な絵を見つけたわ」

母「懐かしいわねぇ、ほらTONYのこの写真、CHICHIBU-MARUの字が浮き輪にあるわ。」(写真をクリックすると大きくなります)
私「船ですき焼きパーティーをしたのね。これはプロムナードデッキね。ちゃぶ台と岡持ちみたいな棚がコンパクトでおしゃれじゃないの。あ、前から三番目のちゃぶ台がお祖父ちゃんたちだわ。」

母「日本からの船ですもの、日本人がたくさん乗っていたから、これは受けてたわね。すき焼きに興味のない外人はダイニングで普通のディナーを食べてたわ、でも食後にものめずらしそうに見に来てたわよ。」
私「お母さんのアメリカからの帰りの船でも似たような写真があったわね。あれには白塗りでかつらかぶったオカマみたいなのがお酌してたわね。」
母「そうそう、船員らがカツラや手ぬぐいかぶってね、仲居に変装してお給仕してくれるのよ。なんせ、島も見えない太平洋でしょ、乗客を楽しませようと色々を趣向を凝らしていたわね。」

私「TONY叔母さんからの話だと、夜、ラウンジで船客皆で映画を見ていた時に、船が急にUターンしたので変だと思っていたら、船室の窓から海に飛び込んで自殺した人が出たんですって?、その人の部屋を姉妹二人で見に行って船員にバレて体裁が悪かったんですって?」
母「そうそう、夜中だから何時飛び込んだかも判らないのよ。でも飛び込んだことがわかった時点で船は急旋回してしばらくサーチライト点けて捜索したのよ。 お父さんに聞いたら、『とにかく旋回して探すんだよ、だめもとでも。それが規則なんだ』って。」
私「船の用語だと『 MAN OVER BOARD 』って言って、真夜中でもコンパスと速度と時間を見ながら旋回して落水したと思われる場所に戻るのよ。あれは専門技術でね、私も小型ボート免許やヨットのISPAのプログラムでも色々なマニューバ(機動)を習ったわ。」
母「だいたい、もうすぐアメリカに着くっていう時点で飛び込むらしいわよ。」
私「船の上で思い悩んで、いよいよ現実が近づくとドボ〜ンか。月曜の朝の電車の人身事故と同じ心境なのね。」
話があらぬ方向へ行きそうになり、食後のお皿を洗いに立ちました。

この絵を掲載するにあたり、モトの掲載者は作者の方と連絡がつかないそうです。ご高齢なので、いささか心配とのこと。自分もこれを勝手に載せているので怒られたら、とっととひっこめるなり、それなりの著作料を払う気持ちでおります。関係者の方へ。