母の食卓の話題

秩父丸1936年(その9):サンフランシスコ入港

私 「わ、この写真、パイロットボートだって。入港するときそこの港の水先案内人が乗ってくる船ね。セールボートだわ。どうしてかしら? この船が汽船に横付けして水先案内人がラダー(はしご)であがってくるのに、セールじゃ横付けが大変なはずよ。」 母 …

秩父丸1936年(その8):救命胴衣

私 「この写真のタイトルは「ボート操練の日」とあるけど、所謂避難訓練みたいなものね。」 母 「何をやったか忘れちゃったわ。横浜港を出航して間もなくだったと思うけど。」 私 「見てよ、この救命胴衣、これじゃ枕じゃないの。着るのもややこしそうだわ。…

62年前のウェディングケーキ

母が70年前にアメリカから持って帰ったBoston Cooking School Cook Book のレシピに基づき、母の孫のReiReiが作ったシュガークッキーを前に。 ReiRei 「ババが良く作ったレシピのページにはシミがあるからすぐわかったワ。 このクッキーも良く作ったみたい…

秩父丸1936年(その7):三姉弟

私「この写真は私大好きなの。船のアフトデッキからこのH家の三姉弟はいったい何を眺めているのかしらね。鯨でも見えたのかしら??」 母「何かしらね。こんな写真があることを、私今まで知らなかったのよ。」 私「船の様子も今の客船にはないものばかりね…

秩父丸1936年(その6):祖父と叔父

私「K次郎おじいさまとYASU叔父さんね。叔父さんいたずら盛りってかんじね。K次郎おじいさまが一緒に写真を撮ろうと、バタバタ動く叔父さんをしっかり押さえ込んでいるように見えるわ。可愛くてしかたないって雰囲気ね。」 母「これは秩父丸の最上デッキね…

秩父丸1936年(その5)

私「S子おばあ様だわ。写真のタイトルに『楽焼会』ってあるけど、何?」 母「素焼きの器に、絵を描いて釉かけて焼くあの楽焼よ。」 私「それを船でやるの? 窯を積んでいるわけ? 船に?」 母「簡単な窯があったのよ。あの頃は何か退屈しのぎの娯楽というと…

北米大陸横断鉄道1936年(その4):グランドキャニオン

母にとって、グランドキャニオンの記憶は鮮明のようです。母「汽車は東向いて走ってたけど、グランドキャニオンに向かって別の線路が北に向いて出ていてね、終点のグランドキャニオン駅まで行くと、機関車は乗客の乗っている客車を置いて帰っちゃうのよ。次…

アクセス1000件突破!

思いつきで始めたブログですが、思いがけなく母の回想から思い出の輪が広がりあれれという間に1000件を超えてしまいました。 今日の母は送って頂いた巨人軍創生期の名選手「内堀保」の写真(1月30日付けログ参照)に歓声をあげておりました。「どこで見つけ…

北米大陸横断鉄道1936年(その3)

ロサンゼルスを出て、祖父母と3姉弟を乗せた列車は東へ向かった。私「この写真のタイトルは『サンタ・フェ駅頭』とあるけど、どこが駅なの?」 母「サンタ・フェに着いたっていうのに、プラットホームがないのよ。不思議に思ったわ。」 私「へ? 大きな駅の…

秩父丸1936年(その4)

写真はサンフランシスコに着いて船を降り、サンタモニカで食事をとる祖父母と母達3姉弟なんだそうです。 ここでYasu叔父さんに聞いた話。写真では見えにくいですが、祖母とTony叔母さんは冷えたミルクをオイシイとビールの中ジョッキくらいのを二杯も飲んだ…

秩父丸1936年(その3)

私「この写真はアフトデッキのベンチね、気持ちよさそう。TONY叔母さんからの話だと、ここに座ってジャイアンツのメンバーが練習するのをずっと見ていたんですって?」 母「そうよ。航海中は運動不足になるから、他の乗客も甲板を走ったりしていたし。 選手…

秩父丸1936年(その2)

私「HISACHANからアメリカの行きの時の写真を送ってきたわよ。これらはお母さんの持っていないんでしょう? それから、インターネットで秩父丸の素敵な絵を見つけたわ」母「懐かしいわねぇ、ほらTONYのこの写真、CHICHIBU-MARUの字が浮き輪にあるわ。」(写…

秩父丸1936年

ブログの記事に反響があって、HISACHANからアメリカ行きのときの写真(1936年)を送って頂いたのでご披露します。 一番右が母、祖父、母の妹のTONY、祖母、祖母の前の小さな男の子が母の10歳違いの弟のYASUです。ハワイのホノルルに停泊中(?)の写真だそう…

北米大陸横断鉄道1936年(その2)

母のひとつ下の妹であるTONYさんから1月21日付けのログにコメントを頂きました。この機会にみなさんの貴重な記憶を芋づる式に掘り起こしたいと思い、ログにアップさせていただきました。 以下、TONY口述、HISACHAN代筆 『横浜から父が勤めていた会社の客…

北米大陸横断鉄道1936年

昨夜のメニューは豆乳鍋。東京もここんとこ冷え込んでいて、鍋しか思いつかない。腰痛のため、一日ベッドで横になったままナンクロに取り組んでいた母も、起きて一緒に湯気の前。私はお酒を頂いて饒舌に。こういうとき、おちょこ一杯の母が同じようにおしゃ…