2008-01-01から1年間の記事一覧

ナイアガラの滝 1938年6月

母 「ニューヨークへ来たときと反対に、また汽車で5日間かけてサンフランシスコまで大陸横断。 今回はK次郎お父さんと二人旅。 途中、ナイアガラの滝を見に行ってね。 それまで見たことのない滝の大きさにもうびっくり。」 私 「アメリカに行ったら、グラン…

おてふおばあさまの手紙 1936年

ニューヨークへ立つIRENE, TONY姉妹を見送りに来てくれた友人たち(大津駅 1936年1月) H田K次郎さん一家が、大津のおてふおばあさまの元から当時16歳の母IRENE連れ出して、家族全員でニューヨークへ赴任していった直後のことです。 以下、K次郎さんの…

夏の全国高校野球

しばらく、もう一つのブログ「サンティアゴへの道 巡礼日記」の更新が続き、こちらまで手が回りませんでした。 巡礼はついに目的地に到達しました。 よろしかったら遊びにきてください。 URLはこちらです。 http://d.hatena.ne.jp/INAHO/ここんとこの猛暑で…

<海と遊ぼう720>キャンペーン

この日は海の日です。 <海と遊ぼう720>キャンペーンで、NO-SIDE号はヨットに乗るのは殆ど初めてというゲスト4名と一緒です。 今日のイベントはできるだけ多くの人に海に出て遊ぶことを知ってもらおうというもので、ヨットやボートは初めてという方に船に…

ディズニーの日

幼い頃からディズニーのアニメで育ったKOINOBORIは2年に1度はディズニーリゾートで遊ぶ習わし(?)があります。 しょせん作り物の世界ではありますが、やはりここにくると幸せそうな人々の笑顔や子供の笑い声がいっぱいで、パワーをもらう気がしてくるの…

朝摘みきゅうり

兄の三回忌と雨でずっとヨットから遠ざかっていました。 一か月ぶりの東京湾のNO-SIDE です。 今日はO船長のゲスト、お若い3名の方も加わり、7名でのにぎやかセーリング。 お天気は湿気の多い、曇りでしたが、午後からは南西から良い風が吹き、船も快適に…

1933年上海

8月の8日からは北京オリンピックです。 テレビニュースでも現地の準備風景が頻繁に紹介されています。 それを見ていて・・・ 私 「天安門だわ。 でも見てよ。 景色が薄茶色に霞んでいるわ、空気悪そう〜。 この空気の中を走らなければならないマラソンの人…

別れの日

母IRENE が大津のおばあさまのもとを去る日のことは、私の母方の祖父K次郎さんの手記にあります。 以下、引用 「昭和十年に上海から、こんどは、ニューヨークへ転勤することになった。 わたしは、ひとつには、子供たちにぜひアメリカを見せておきたかったし…

大津のおじいさま

私 「大津のK之祐おじいさまって大津市長の選挙に出たんでしょ?」 母 「出たんじゃなくて担ぎだされたのよ。有力候補の対抗勢力に強引に。 おじいさまはぜ〜ったいにヤダって言い続けていたのによ。 昔のことだからね。 選挙の結果は同数票で、年長者のお…

小岩井バター

店頭からバターが消えてもうずいぶんたつのに、高価なもの以外、未だにお目にかかれません。 たまたま、小岩井の瓶入りのバターを見つけ、買ってしまいました。 私 「瓶に入ったバターって珍しいわよね。 持ち運びにも便利そうだったから、昔、高校の時、合…

キスチョコと歩行器

勤め先で仕事をしていると、ジーンズの後ろポケットの携帯がブルブル。 開けてみると はいはい、お待ちを。 仕事帰りに買って帰ります。 母はチョコレートが大好き。 特にハーシーのチョコレートに目がありません。 KOINOBORI も幼い頃よく両親が上野のアメ…

停滞中

ブログの進みがここにきてスローなのは、KOINOBORIのもうひとつのブログ:サンティアゴへの道・巡礼日記 http://d.hatena.ne.jp/INAHO/ の更新が続いたのと、お古のパソコンがパンク気味でものすごく遅くなり、停滞しています。 いっそパソコンの大掃除をす…

大津1920年代・魚屋

最近、我が家が懇意にしている魚屋さんがあります。 二ノ宮の漁場から直送で今、まさに旬を迎えたお魚が、これ以上望めないほど新鮮な状態で手に入ります。 週末、買ったのはメイタガレイ。 から揚げの熱々にレモンをジュッとかけて頂くと天下一品。 冷えた…

大津1920年代、庭の桑の実

doziさんがお友達からプレゼントされた桑の実ジャムをおすそ分けしてくださいました。 そのお友達は桑の実を朝早く小鳥と競争しながら4キロも収穫されたとか。 今朝の食卓に早速登場。 ブラックベリーよりひと回り小さな桑の実、KOINOBORIは旅先で桑畑から…

昭和のSL映像館

写真は週末30日、NHK BSの特番、昭和のSL映像館を熱心に見る母IRENEです。 この番組は全国のNHKで保存されている映像から現役時代のSL映像を厳選、編集したというもの。 母は幼少の頃は大津の家のすぐ近くにできた近若鉄道の蒸気機関車を毎日見に行き、従兄…

レース一色・銀河丸

海上にいても初夏を感じさせる一日でした。 若洲沖から海面はレース一色。 ちょうど東京都の国体代表選手の選考会でFJ,スナイプ、ウィンドサーフィン、シーホッパーなどでセールの花が咲いていました。 風が弱く、ウィンドサーフィンはパンピングを多用し…

大津1920年代・親戚の家へ

高輪のH世の家で、従姉たちと 母 「ずっと大津の家にいたわけじゃなくて、たびたびK次郎お父さんの兄姉の家をわたり歩いたの。 東京の高輪にあったH世の家や島さんの家、それから、神戸の御影にあった、T之祐おじさんの家。 学校が休みになったりすると…

母のクッキー・70年前のレシピ

写真は母IRENEのアメリカ時代のレシピ本です。一冊はベイカーズというベイキングチョコレートのメーカーのレシピ本、もう一冊はクッキーだけのレシピ本。 クッキーの本は挿絵の漫画がとても可愛らしく、KOINOBORIは絵本のように見ていたものです。 どちらの…

大津1920年代・その4・北丹後の地震

昭和2年3月7日午後6時27分に、丹後地方でマグニチュードが7.3の大きな地震が発生しました。 この地震は兵庫県南部地震と規模は同じ。当時八歳の母IRENE にとっては関東大震災に次いで二度目の震災でした。 母 「ぐらぐらっときて、私はお女中に連れ…

大型連休最終日

関東地方はお天気に恵まれなかった連休後半、最終日の今日No-Side は琵琶湖のD&D5のF氏をゲストに迎え総勢5名で東京湾をデイセーリング。 雲ひとつない晴天。暑くもなく、寒くもなく。 午前中北北東の風、次第に南に振れ、ランチタイムには風がやみ、…

大津1920年代・その3・おうむと料亭

私 「家におうむがいたのね」 母 「このおうむはね、ある日大津の家のお庭にある小川のところにとまっていたの。 おちょうおばあさんが大きな風呂敷を持って出て、バサとかぶせて掴まえたのよ。 納屋に古い鳥かごがあったのでそれに入れてしばらく家で飼って…

ふたたびYBM

私にとっては連休初日の今日、YBMへの一泊セーリングでした。 生憎ずーっと雨の中、カッパにしみとおるのではと思うほど。 GPSはないのでコンパスと目視頼り。 真追っ手の風であっというまに到着。 マリーナにはコイノボリ。 ビジターバースにはジター…

感謝、多謝!!アクセス10,000件突破

今年のお正月の出来心で始めたこのブログ・・ めでたくアクセス10,000件を超えました! 毎日のご飯を食べながらのおしゃべりから描かれた、母のぼんやりセピア色の記憶が、皆様のコメントのお陰で、より輪郭が明確になり、色彩も豊かに加わって、どれもこれも…

魔法の時間・コープランドアイランドの夜2007年

先週、20日のログでカナダでの夜光虫との魔法の時間のことを書きましたが、この話には続きがありました。 釣ったカレイを煮付けにしたり、岩場で採った牡蠣を蒸して頂いた素晴らしいディナーの後、皆それぞれ寝床に入りましたが、この船の船長のBobさんが…

大津1920年代・その2

私 「こんにゃく鉄道って家のすぐそばから出てたのね。」 母 「そう、おさとさんと一緒にほとんど毎日ように見に行っていたの。 学校で近江舞子に泳ぎに行くときはこれに乗って行ったのよ。」 私 「あら、泳いだの?」 母 「泳がない。おばあさまからきつく…

大津 1920年代・その1・江若鉄道

BSで放送中の『イギリス保存鉄道の旅』で、タリスリン鉄道を紹介していました。 ひとまわり小さなモスグリーンの機関車に赤い客車でコトコト走る列車。 かわいい〜! 機関車トーマスみたいだなと思ったら、実は『機関車トーマス』を作ったウィルバート・オー…

春の朝食

今日はKOINOBORIの仕事が非番の日。台所で朝食の用意をしていると母IRENEが手持ち無沙汰のようなので、母自身の薬のケースへのセッティングをお願いしました。母にとってこの作業は一年半ぶりでしょうか。 「薬の名前も効能も忘れちゃったワ」と言っていまし…

海の星・夜光虫

さて、週末ですので・・と、 先週末の話です。 No-Side 号が東京湾マリーナから横浜ベイサイドマリーナ(YBM)までのクルージングの最中、おびただしい赤潮の帯に遭遇しました。 不気味な赤潮、やはり環境の変化のせいでしょうか? しかし、横浜に停泊中…

大津の家(1924〜1936)

私 「大津ではどういう子供だったの?」 母 「普通よ」 私 「ちがうでしょ、 学校へは人力車で通ったとか?」 母 「それはない。 小学校のときは女中がいつもついてきたけど。」 私 「女中さんが何人いたの?」 母 「3人だったかな、4人だったかな? その…

大津の家・今昔(1924年と2003年)

私 「これが大津の家での写真ね。K之祐おじいさまとおちょうおばあさまの間にちょこんと座っているのがお母さん。 でも、なんでふとんの打ち直しの写真なんか撮ったの?」 母 「ふとんの打ち直し? ははは、やあねえ、この白いフワフワは白くまの毛皮よ。」…